失われた温もり

11月も半ばを過ぎた頃、つい2、3日前にニュースでまだ夏日だとか言っていたと思ったら今日は最低気温が例年より5℃低いなどと言っている。

これも地球温暖化が原因なのだろうか。果たしてこの先人類はどうなってしまうのだろう。地球の平均気温は上がり北極と南極の氷が溶け、海面が上昇して島国から順番に海へと没していくのだろうか。そうなれば人類は海の上で生活することが当たり前となって、次第に魚のようにヒレや鱗のある人間が産まれてきたりしたりして……。

そんなSF映画のよう事を考えながらぼんやりテレビを見ていたら、隣で炬燵に足を突っ込んで二人でゲームをしている娘達のゲーム機から軽快なアラーム音が鳴った。我が家で決めた1日にゲームをしても良い時間の4時間を過ぎたのだ。クイズ番組の司会者風に「はいっ、終〜了〜♪」と時間切れを告げた僕を二人が恨めしそうに睨む。

15年前、学校も近いし職場も近いし駅にも……まあまあ近いし、という事で新聞広告で偶然見つけたこの土地に家を建てた。子育て世代半分、シニア世代半分といった新旧入り混じった感じの静かな住宅街だ。子育て世代の我が家を囲む向こう三軒両隣はシニア世代ばかりで夜になると気を使ってしまうくらい本当に静かだ。

晩飯も食べ終えてあとは風呂に入って寝るだけというタイミング。そろそろ洗い物を片付けようかとキッチンに立ち給湯器のリモコンをONにして蛇口を開けた。

ジャーッ!と勢いよく出る水の音。その音に反応して「水出し過ぎっ!」と妻。反射的に水量を少し絞るまで0.5秒。いつもの流れだ。

シンクの中は山賊か海賊だかが宴でも開いたんですかと言わんばかりの食器類の山。カオスだ……。

スポンジに水を含ませ軽く絞る。しかしその瞬間に違和感を感じた。たしかいつもならこの時点で蛇口から出ているのは温かいお湯のはずだった。しかし今出ているのは冷たい水だ。お湯が出ていない。

壁のリモコンに目をやると、いつもなら点いている赤い燃焼マークが点灯していなかった。とりあえずONとOFFを繰り返してみる。出ない。

「えっ、ウソやん?さっきまでお湯出てたで?なんでなんで?パパなんかした?なんかまた変なボタンとか押したんちゃう?」と妻。

秒で容疑者扱い。理不尽極まりないがこんなのはもう慣れっこだし気にもしていない。それよりもお湯が出ないとは一体どういう事か。

(まてよ……まさかついに、ついにこの時がきてしまったのか⁉︎まさかそんな……!)

ずっと頭の片隅にはあった。でも出来るだけ考えないようにして生きてきた。この平和な日常がいつまでも続くのだと漠然と信じていた。

勿論それがただの現実逃避であることも分かってはいたが、人間とは臭いものに蓋をしたがるものだ。人間とは辛い現実が目の前にあっても見て見ぬふりをする事が出来る生き物なのだ。しかし確実に”その時”はやって来る。その証拠に今それは僕の目の前に現実となって静かに、そしてゆっくりと横たわった。

おそらく給湯器の寿命が近づいている。

築15年。人が老いに逆らえないように家も給湯器も老朽化には逆らえない。形あるものいつかは壊れるという当たり前の事に目を逸らし続けてきた。新築の我が家で初めて夜を明かした日の事を思い出す。

テレビや家具などは早くから買っていたのに夜になって肝心のカーテンを買い忘れていた事に気づき、仕方なく部屋の明かりもつけずに妻と二人で隠れるようにして眠った。それでも自分達の家を建てたという喜びの方が勝っていて二人とも涙目でリビングの隅っこで腹を抱えて笑い合った。あれから15年も経ったのか。

給湯器の寿命は大体10年ぐらいだと聞いたことがある。つまりこの15年間一度も故障せず使えていたこのNORITZ製の給湯器「GT-2028SAWX」は性能が良かったという事だ。NORITZの創業者である太田敏郎氏には感謝せねばなるまい。

しかしこの間冷蔵庫を買い替えたばかりなのに……。いや、その前には炊飯器も買い替えたか。待てよそういえばアイロンだって壊れてたな。……最近なんか色々壊れ過ぎている気がする。不吉だ。しかもこの物価が高騰している時に何という事だ。

世界がコロナ禍から少しずつ立ち直り、足止めをくらっていた経済がようやく動き出したかと思ったら今度はロシアがウクライナへの軍事侵攻をはじめ、アメリカは景気回復からの物価上昇を抑制するために金利を引き上げた。

結果さらに円安は進み一時は1ドル150円を超えた時もあった。資源の乏しい日本は原料高で調達コストは上がるわ輸入コストは高くつくわで、僕の給料は上がらないのに物価ばかりがどんどん上がっていく。

そんな時にこうも立て続けに家のモノに壊れられたらたまったもんじゃない。一家の大黒柱としては胃が縮み上がる思いだ。

しかし食器洗いは水でなんとか乗り切れたとしても風呂はさすがに無理だ。よりによってこのクソ寒い日に本当に困ったもんだ。

「よし、こうなったらみんなで銭湯にでも行くか!」と、いざ冒険に出発だ!的な感じで言ってみたら我が家の女子達が全力で拒否した。

娘達は生まれた時からこの家の風呂で育ってるもんだから銭湯という所がそもそもどんなところかよく解っちゃいない。そんなよくわからないような所へ連れて行かれてさらには人前で裸になるのなんか絶対にヤダと譲らない。こりゃダメだ。

とりあえず自力でどうにか復旧出来やしないかと外にある給湯器本体をチェックしてみる事にした。玄関から出て給湯器本体が取り付けられている家の側面へと回り込む。

家と家の間を冷たい風が通り抜けていく。寒い。よし!やっぱやめよう!とすぐに踵を返す。しかし何もせず家に戻れば妻と娘達に何を言われるかわからない。仕方なくもう一度回れ右して寒さに耐えながら進む。

給湯器本体は地面からおよそ1.5mほどの高さの位置で壁に取り付けられていた。外観から見た感じでは15年も使用しているわりには綺麗で何も問題は無さそうに見える。

とりあえず「給湯器」「お湯が出ない」「対処法」という語句で検索してみた結果から得た情報を頼りに、まずは給湯器本体のコンセントを抜いてからもう一度さす。寒い。

寒風に身をよじりながら「どう?」と外から妻に電話をする。「まだ出ーへーん」と間延びした声で暖かい家の中から妻が返す。寒い。

仕方がない給湯器本体の内部を点検するしかなさそうだ。ネットで検索した情報によると本体コンセントの抜き差しで直らない場合は点火プラグが汚れていたり、「イグナイター」というゲームに出てくる敵キャラみたいな名前の部品の故障が考えられるらしい。

時間が経つにつれ寒さも増してきた。何も考えずに薄着で出てきた事を今さら後悔している。足元は裸足にクロックスのサンダルという状態だ。壊れかけのロボットのように小刻みに震えながらドライバーを使って本体のカバーを外す。手が震えるのでネジを何回か落として見失いそうになる。寒い。

カバーを外し露出された内部をじっくりと見る。すると中央あたりの位置にさっきネットで検索した時に見た画像と同じ点火プラグとイグナイターなるものを発見した。しかし見た目は比較的綺麗で何も問題は無さそうに見える。寒い。

さっき検索した情報によると点火プラグとイグナイターは簡単に取り外す事が出来るらしいので試しにイグナイターを取り外してみる。たしかに書いてある情報通り拍子抜けするほど簡単に取り外す事が出来た。暗いのでiPhoneのライトで照らしながらじっくりと観察してみる。寒い。

……うむ、よく考えたら給湯器の専門家ではないのだからじっくりと観察したところで何も分からない。ただ寒いだけだ。仕方なくイグナイターを元に戻しカバーを閉めてダッシュで家の中へ戻る。

リビングのドアを開けると妻と娘達が(どうだった?)という表情で僕を見た。とりあえず何も言わずに微妙な表情を浮かべたまま外気ですっかり冷え切った体を素早く炬燵に潜り込ませた。

(ああ、暖かい……。)すぐに瞼が重くなり眠気が降りてきた。入る者全てを一瞬で眠りへと誘う炬燵の魔力。強大だ。だが寝ている場合じゃない。三人の視線も痛い。己を奮い立たせ再びキッチンに立ち蛇口を全開にした。

ジャーッ!と勢いよく出る水の音。さすがの妻も文句を言わずこちらを静かに見守っている。しかしまだ燃焼ランプは点かない。それもそうだ、外で本体のカバーを外して閉めただけなのだから大して何もしちゃいない。

……もうここからは神頼みの領域だ。

手首をクネクネさせながら「ホワァーッ!」と氣功師さながらの手振りでパワーを送り込むようにして再び蛇口を全開にする。「何やってんの?」と妻。

しかし次の瞬間、給湯器のリモコンを注意深く睨んでいたあまりに細くて普段から開いてるのか閉じてのるかよく分からないね笑と家族によく言われる僕の目がカッと見開く。

そう、なんとさっきまで点かなかった燃焼マークが赤く点灯しているではないか。逸る気持ちを抑えてしばらく待ってから蛇口から流れ出る水に手を当ててみる。

……温かい。

「お湯だ!お湯が出たぞー!」

まるで温泉を掘り当てたかのような歓喜の声を上げる。その瞬間、顔を見合わせた我が家の女子達は一目散にお風呂へ。もちろん入る順番は僕が一番最後だ。まぁ良いだろう。

奇跡的にお湯が出た事で家族全員なんとかお風呂に入る事が出来たが急にお湯が出なくなった原因は分からないままだ。そしてお湯が突然出るようになった理由もまた判然としないままだった。

コンセントの抜き差しが効いたのか、それともイグナイターを取り外してみた事で何らかの不具合が解消されたのか、あるいは僕が演じたエセ氣功師の送り込んだパワーのおかげか……。

風呂上がりに喉が渇いたので冷蔵庫から飲み物をとるついでにとりあえずもう一度お湯を出してみる。しばらく待っても燃焼ランプが付かない。お湯が出ない。アカンがなっ!

しかし何度か蛇口を開けたり閉めたりを繰り返すことで燃焼ランプが点いたり点かなかったりする事が分かった。まだ命の灯火は消えてはいないようだ。

蛇口の開け閉めを繰り返すことでどうにか点火する事が分かったが、給湯器の使用年数から考えると時間の問題だろう……と思ったその時だった。

「壊れてからじゃもう遅いんだよ!」

ハッと声がする方を振り返るとテレビで三代目JSBの“岩ちゃん”の愛称で知られる岩田剛典氏が出演するCMが流れていた。

まさかとは思ったがどうやら岩ちゃんが熱く語るその内容は明らかに今まさに頭を悩ませている給湯器の事を言っているようだった。

確かにそうだ壊れてからではもう遅い。このタイムリー過ぎるコマーシャルは完全にブスリと今の我が家の状況に突き刺さった。その証拠に家族全員がそのCMに釘付けだった。そろそろ腹を括らねばならない。壊れてからでは遅い、名言だ。

というわけで妻と協議に協議を重ねた結果ついに我が家の給湯器を新しいものに交換するという決定が下された。たとえ家計に大打撃を受けることになったとしても年末年始にお湯が出ないなど地獄でしかない。そして何より岩ちゃんのあのひと言が迷う気持ちを消し去ったのだった。岩ちゃんには感謝せねばなるまい。

家を建ててから15年。あれから現在に至るまで我が家のお湯事情を支えてくれたNORITZ製給湯器GT-2028SAWXよ、今までありがとう、そしてさようなら。

先人達が知恵を絞りこの世に生み出した給湯器という文明の利器。今では当たり前となっている蛇口を開ければお湯が出るというこの奇跡に僕らはもっと感謝しなければならないのかもしれない……。

最後に

すこしばかり誇張して書いた、ただ我が家の給湯器が経年劣化で壊れただけのこの話しを最後まで読み、ここまで付き合っていただいた方に感謝いたします笑

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